千円札のこの人、野口英世を忘れていませんか
1000円札になっている偉人の野口英世は明治9年(1876年)、福島県会津地方の猪苗代湖畔で生まれ清作(せいさく)と名付けられました。清作の家は、村外れの冬はとても寒く風が強く気候の厳しいところでした。
私も何度か、ここ野口英世記念館(当時の家を保存して様々な資料があります)を訪れています。ここを訪れたらぜひ見ていただきいて貰いたいものがあります。
それは、母が英世宛に書いた手紙と英世が家を出る時に柱に刻んだ文字です。
『 志(ここざし)を得ざれば、再び此地(ここち)を踏まず』と書いています。
この手紙は、母シカがアメリカにいる英世に送った手紙です。
英世の家は貧しくて両親とも学校へは行ってませんので、読み書きはできませんでした。
しかし、英世が幼い時に左手に火傷をして英世には百姓は出来無いと悟った母シカは、これは私の不注意からおきてしまった事。英世の行く末を心配した母は、英世が百姓以外で身を立てる事が出来るように、母自ら読み書きを幼い英世と一緒に学んだと言われています。
家は貧しいので筆記用具の紙や筆は買えませんでした。
しかし、何としてでも英世には読み書きを習得させなければならなかったのです。
読み書きの文字の練習は、囲炉裏の灰に書いては消して書いては消しで行っていました。
この手紙は、ななかな読めないでしょう!
でも、英世には読めたのです。忘れる事が出来無い母の書いて文字だからです。
そして、母の書いた文字を見て直ぐに英世は帰国を決意したのです。
『この時を逃したら、母にはもう会えないかもしれない!』
以前、ここを訪れた時は、ご婦人の方が涙ぐんでいました。
誰しもが、「涙線が零れてしまい、胸がつまってしまう」ところでしょう。
ここで教育とは、『何か』と考え『自問自答』しない人はいないと思います。
人ってここまで出来るんだ。そう感じたたけでもここへ来た甲斐はありますね。
英世が柱に刻んだ決意『 志(ここざし)を得ざれば、再び此地(ここち)を踏まず』は、
母シカの愛への証だったのでしょうか!
ぜひ、こちらをご覧ください。
母と初めての旅行で大阪へ立ち寄ったときの話が載っています。
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英世とその母