スパリゾートハワイアンズとフラガールの歴史
スパリゾートハワイアンズの前身は、常盤ハワイアンセンターでした。
この常盤ハワイアンセンターができたのが、昭和40年4月でしたから今から50年前です。
この常盤ハワイアンセンターを造ろうとした目的は、当時ここにあった常盤炭鉱が閉鎖することにより職を失う従業員を救う目的と
、この常盤炭鉱の石炭採掘による温泉を利用することでした。
このハワイアンセンターのようなテーマパークは、この当時の日本は戦後から脱却して高度成長の時をむかえましたが、少ないもので東北では初の試みでした。
この東北の地にハワイを造る。炭鉱の街にハワイを造る。荒くれの男たちを従業員として雇う。そして、一番の出し物の踊り子のダンサーは、ダンスには全くの無縁であった。
誰もが、失敗するだろうと思っていたし、それよりも何故ここ東北の地にハワイと発想することすら想像に居難いことでした。
もっても、半年か一年だろうと予測もされていた。
誰もが、炭鉱閉鎖にともなう一時的な公共事業的としか捉えていない。
石炭採掘による温泉の処理には有効活用できるので良いというだけである。
とにかく、前例が無い。
この前例が無いという事は、どうなるか結果が分からない事。
普通に考えて成功しない事をイメージさせる事です。
しかし、この前例の無い事に対して、一番の出し物の踊り子たちは自分自身に対して前例が無いほどに練習したのです。
踊り子のフラガール達は、全寮制の寄宿舎に入り朝は9時から夕方の5時までお昼の一時間以外は全てフラガールにあてた練習でしたが、5時以降の自由時間も各自、自分の不足なところを練習していました。
生活の全てをフラガールに注ぎ込んでしたのです。
このフラガールたちには、強い決意があったから過酷な練習を可能にできたのです。
すべては、自分のため。そして、愛する家族や地域社会の為でした。
そしてその結果は、当時としては大変な人気になりました。
こちらは、この時のフラガールをモデルにした映画『フラガール』の予告です。
それは、現在にも受け継がれています。
現在は、スパリゾートハワイアンズとなって下ります。